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皆さんこんにちは!
株式会社アルプス警備、更新担当の富山です。
警備という営為は、単なる労務や対処業務ではなく、社会秩序と公共安全の基盤を支える根本的な機能を担っている。
その成り立ちと変遷をたどることは、現在我々が従事する業務の本質的な意義と、社会的使命を再確認する契機となる。
以下においては、古代から現代に至るまでの警備に関する制度・職能の歴史的発展を概観し、今日の民間警備業の背景を明確にすることを目的とする。
狩猟採集生活における群れの存続には、外敵・猛獣・他集団からの襲撃に備える機能が必要不可欠であった。
これにより、自然発生的に「周囲を見張る者」や「夜間に警戒する者」が生まれ、共同体内での防衛担当の役割分化が進んでいったと考えられる。
この時点で、警備の原型は既に人類社会の中に萌芽していたといえる。
文明の成立とともに、都市国家や王朝が形成され、政治権力の集中に伴って制度的な守衛機能が確立される。
古代エジプト:ファラオの宮殿には「王室衛兵」がおかれ、神殿・財宝の警備も一任。
古代中国:秦〜漢代においては、「武官」と「警邏兵」が明確に区分され、都市部の治安維持が法令によって運用された。
古代ローマ:都市の防犯・消防を兼ねた「ヴィギレス隊」が存在し、現代の機動隊・消防隊の先駆けとなった。
日本では、律令制下に「左右兵衛府」「衛門府」などが設置され、天皇の近衛や宮中の秩序維持に従事。これが国家的警備機構の成立を意味する。
中世以降、中央権力の弱体化と各地の武士勢力の台頭により、治安維持は地域単位の自衛的対応へと移行する。
城郭や領主邸宅の「門番」や「番所番士」が、防衛および来客管理の任を負う。
鎌倉・室町期の武家政権では、軍事警察的な「侍所」や「検非違使」制度が活用された。
江戸時代に至り、幕藩体制が確立されると、都市部における常設的警備・巡邏体制が整備される。町奉行・与力・同心が中心となり、犯罪の予防・摘発が体系化された。
この時期の「火付盗賊改方」は、治安維持と警戒監視の機能を併せ持つ専門機関として、今日の警察機構と警備業務双方の先駆といえる。
明治維新以降、国家の近代化に伴い、欧米の制度に倣って国家警察制度が導入される。
1874年、内務省に警視庁が設置され、以後の治安業務は官の専権事項となっていく。
この時期、民間における警備業の役割は縮小したが、一方で私的な用心棒的存在や、工場等での独自警備体制が密かに形成された記録も存在する。
戦後日本において、経済の復興と都市化が進展するなか、**公的警察のみでは対処困難な“予防的・補完的治安活動”**の必要性が高まった。
1955年、日本初の民間警備会社が誕生。以降、ビル・工場・商業施設などにおける「常駐警備」「夜間巡回」「輸送警備」などが展開される。
1962年の「警備業法」制定を経て、業務内容は徐々に制度化・多様化され、今日に至る。
現在、警備業界は以下の複数分野に専門化している:
1号業務:施設警備(常駐警備、巡回警備、監視等)
2号業務:交通誘導・雑踏警備
3号業務:現金・貴重品運搬
4号業務:身辺警護(いわゆるボディーガード)
加えて、AI・顔認証・クラウド監視システムなどの先端技術との連携が進み、人間と機械の協調型警備体制が今後の標準となりつつある。
警備の歴史とは、「人を守る」ことに社会的責任を持った人々の記録である。
その根底にある理念と技術は、今なお現代の業務の根幹を成している。
我々は、この歴史に学び、今後も「安全」「安心」「秩序」の維持を、民間の立場から力強く支えていく所存である。
次回もぜひご覧ください。